落語好きがバレそうなオチになりました。
落語好きがバレそうなオチになりました。

落語好きがバレそうなオチになりました。

 

ブログをご覧の皆様、こんにちは。

名古屋支社・制作事業部ライターの村武でございます。



今回のタイトルはあれです。

釣りというかフリというか、

とにかく「長いけど、最後まで読んでね」ということです。



なんか勝手にハードルを上げてしまった気もしますが、

気にせず進めます。



いつも書いている紋切型の挨拶からもわかるとおり、

ぼくの職業は「ライター」ということになります。






こっちじゃなくて……




こっちですね。



ということは、ぼくたちは“文字や文章を書くプロ”。


……であるべきなのですが、

このブログをご覧いただければわかるように、そのスキルは千差万別

ぼくのように文章力ゼロ、アイデア&勢いのタッグプレーで攻め立てるだけの

3流と名乗るのすらおこがましいド底辺ライターもいれば、

同僚ながら「文章、上手だなぁ」、「この発想、おもしろいなぁ」と素直に思えるような

正真正銘、“THEライター”という方まで、サマザマです。


もっと言ってしまうと、管理部の皆様が書いているブログのほうが

仮にも「ライター」としてお給料をいただいている自分のものよりも

圧倒的におもしろいと思うこともしばしば。


本来はダメなことなのですが、

ぼくは自分の文章力に一切、自信やプライドを持っていないため、

いつも素直に「すごいなぁ」と感じ入っております(笑)。



さて。

諸説あり断言できないことを書いて申し訳ないのですが、

ぼくたちの職業であるライターを

日本で初めて専業の職業にした人物は、

江戸時代に活躍した、十返舎一九だと言われています。



弥次さん&喜多さんの珍道中を描いた

『東海道中膝栗毛』シリーズの第一作、

浮世道中 膝栗毛』が空前の大ヒットとなり

一九さんは一躍、当世きっての流行作家に。



(ちなみにぼくは電子書籍版を購入したため、

スクリーンショットで失礼いたします)


その後、兼業していた用紙の加工や挿絵執筆などを辞めて、

物書きに専念するようになり

ここに日本初となる職業ライターが誕生した

……という説が有力だそうです。


ちなみに、うらやましいことに、

一九さんはユーモアにも富んでいたみたいですね。



というのも、

彼は複数の病気に罹患し苦しむ、寂しい晩年を送ったのですが、

病床にあってなお、

こんなにステキな辞世の句(というか、川柳)を遺しました。



この世をば どりゃ お暇(いとま)に 線香の

煙とともに 灰左様なら



ぼくは古語に詳しいわけではないですが、

あえて現代語訳するならば、



よし、この世ともお別れだ。線香の煙と一緒に消えよう。はい、さようなら


といったところでしょうか。



「どりゃ」という感動詞で、これから死ぬという悲壮感を取り除き、

線香の灰と、これまた感動詞の「はい」を掛けた言葉でしめくくる。



死の直前にこれを遺す。

物書きとして理想的と言えるのではないでしょうか。



江戸時代、その中でも特に江戸という地域では、

大笑いよりも、ナンセンスやシュールなギャグ、

つまり“わかる人にだけわかる”、“わかる人だけくすりとできる

そんな笑いこそが「」だとされていたようです。


その江戸で大人気になったライターだけあって、

死の直前にも、くすりと笑える句を遺したかったんですかね。


しかもですよ。

約200年経った現在まで、それがしっかりと残り、

そのが現代人さえもくすりとさせてくれる。

そしてそれが、ぼくたちが感じる「」への「クスリ」となる。

そんな物書きに、ぼくもなってみたいものですね。



おあとがよろしいようで。

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